文化・芸術

エルトュールル号

Img_0275 海の食からたまには外れて、ちょっと違う話題に移ってみます。
このブログは水中映像のお話もあるはずなので(笑)
このブログを読んでいただく頃には、多くのメディアが取り上げるニュースシーンで
この串本沖に沈む軍艦の話を聞いたり見たりした方が多いのではないでしょうか?
今現在この発掘引き上げプロジェクトは進行中で、僕も実はこのプロジェクトに初期からかかわっています。
4年ほど前にトルコ海洋考古学研究所所長トゥファン氏が下見に来日、この時にたまたま串本にいたことから、町と観光協会会長からの依頼で一緒に潜ることになりました。
昨年1月に本格的調査目的で世界中から海洋考古学者が串本に集結。
この中には海洋考古学の父といわれる「ジョージ・バス」
クストーの片腕として調査初期からカリプソ号に乗り組んでいた「クロード・デュティ」などの大物も来日していました。
ジョージ・バスのインタビューは月刊ダイバーにて今月のダイバーとして掲載したので
読んでいただいている方もいらっしゃるかもしれません。
また調査開始時の模様も昨年4月号で月刊ダイバーとナショナルジオグラフィックでカラーで掲載しました。

昨年はトルコ調査団の一員として初めから終了までずっとチーム入りしていたのですが、
今年は諸事情から一報道者として報道開放日に一日だけ参加のつもりで彼のホテルを訪れました。
ところが、トゥファン氏と再会するやいなや、「待ってたよ、いつ合流するんだい?」
なんて言う話に・・・
おいおいいきなりかよと思いながら、報道開放日の午後からは発掘チームの記録係っぽいスタンスに置かれることになってしまいました。(トルコチーム入り)
去年は終盤、あるいは夏のメールのやり取りで、僕が撮影した素材の使用方法を巡って彼とはちょっといざこざがありまして、
今年は少し距離を置いたスタートにしたわけですが、自分が撮影したものや、他の放送局が撮影していくものと客観的に見て、やはり合流してくれという話にどうやらなったようで、
まあ、撮影技術を認めていただいたのかな?

去年のようなトラブルを回避するため、僕が撮影したものを学術的に使用する目的でのコピーを渡すという条件で、撮影した映像の各メディアや雑誌社での使用権を全面的にこちらにいただくという話をしっかりと行ない、今日から合流します。

このエルトュールル号とは明治時代に台風に遭遇、串本沖に沈んだトルコの軍艦で、これを当時の紀伊大島住人が総出で救出活動、嵐の中断崖絶壁から乗組員を救出。
このことから現在トルコ イスタンブールと串本は友好都市関係にあり、トルコ記念館が串本にあるのです。

またその後、日本政府がチャーターした日本の軍艦「金剛」でトルコまでおくりとどけました。
当時トルコは旧ロシアの圧政に苦しみ続ける状態でしたが、日露戦争で日本がロシアに勝ったことや、この事件で「日本はすごい国だ!」となったらしく、
トルコには今も親日家が多いようです。

舞台は変わって1985年
イランイラク戦争時、サダム・フセインは48時間以内に上空を飛ぶ航空機はすべて撃墜すると突然声明を出した。慌てて駐留者を持つ各国は自国のチャーター機を飛ばし、
大急ぎで民間人の退去をさせたのですが、日本政府は対応が遅れ、空港に215人の邦人を孤立させていました。タイムリミットまであとわずかという時に
トルコが自国のチャーター機を飛ばし、日本まで送り届けてくれたのです。
日本政府は「なぜトルコが????」となったのですが、
東京の外務省にトルコ大使が公式発表。
「これは1890年のエルトュールル号の借りを返しただけです」
何ともかっこいいじゃないですか!!

この船の主要な遺物を向こう5年間で引き揚げ、保存処理をしてトルコに里帰りさせようというのが今回のプロジェクトです。主導はトルコの海洋考古学研究所なのですが、フランスのマチス財団、アメリカテキサス大学なども絡んでいます。

Img_0265 この引き揚げ作業を映像と写真で記録していくのが僕の仕事。
NHKさんも含めて放送局や新聞社など各メディアも入れない作業風景を克明に記録すべく、寒い北風の吹く樫野の海に今年も潜り続けていくことになりました。
向こう四年はこの季節ここに来ることになりそうですなあ。

順次皆さんに何らかの形でお見せしていけると思います。
とりあえず、今日は悪天候で中止ということで、昨夜串本入りするつもりでしたが、連絡受けてまだ出発していません。そろそろ準備して向かいます。
ではでは・・・
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